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東京地方裁判所 平成12年(合わ)103号 判決 2000年8月29日

主文

被告人を懲役一五年に処する。

未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入する。

押収してある登山ナイフ一本(平成一二年押第八七七号の1)を没収する。

理由

(被告人らの身上経歴)

被告人は、昭和四九年一〇月ころ熊本県立の工業高校を中退した後、高知県、東京都、熊本県等で造船配管工等を行った後、東京都内や千葉県で鳶職等として、十か所くらい転々とし、平成九年九月ころから株式会社A野(以下「A野」という。)で鳶職として稼働し、東京都大田区南蒲田《番地省略》のB山荘一号室で一人暮らしをしていた。当時、被告人は、偽名であるBと名乗っていたため、仕事仲間からは、「B」と呼ばれていた。被告人は、昭和五五年から平成九年にかけて、傷害罪又は暴行罪で罰金刑三回に、暴力行為等処罰に関する法律違反等で懲役刑二回、うち一回は懲役一年の実刑にそれぞれ処せられたことがあった。また、被告人は、酒癖が悪く、前科の中には、飲酒が原因で起こした事件が多かった。

一方、Cは、平成二年ころから平成一〇年一二月ころまで、一時期を除き、A野に在籍し、鳶頭的な役割をしていたため、被告人は、Cを「頭」と呼び、その下で働いていたが、個人的な付き合いはなかった。Dは、Cの高校の後輩に当たり、Cと酒を飲みに行くなど、親しく交際していた。Dは、一時A野の下請をしていた時期もあったが、被告人は、仕事の行き帰りにDの顔を二、三度見たことがある程度で、その素性を全く知らなかった。

(犯行に至る経緯)

被告人は、平成一〇年秋ころ、A野の親方に連れられ、自室近くの焼肉店で飲食した際、同行したCと口論の上、店内で取っ組み合いの喧嘩となり、Cを近くの空地で地面に組み伏したという出来事があった。その際、被告人としては、最後には、Cに謝罪したため、喧嘩は収まったと考えていた。Cは、同年一二月ころ、A野を辞めたため、それ以降、被告人がCと顔を合わせることはなかった。

ところで、被告人は、平成一二年三月六日夜、知人とともに、近くの焼肉店やパブで飲食し、翌七日午前零時前ころ、一人でB山荘の自室に戻った。一方、Cは、同月六日午後九時四五分ころから、スナックで飲酒していたが、同日午後一一時ころ、携帯電話で他の店で飲酒していたDを同店に呼び出し、しばらく二人で飲酒した後、翌七日午前零時三〇分ころ、店を出た。

被告人が、同日午前零時四〇分前ころ、自室の六畳間で焼酎を飲み始めようとしていると、ドンドンと玄関ドアを叩く音がしたので、ドアを開けると、いきなりCとDが中に入り込み、Dが、「お前がBか。」と言いながら、被告人の左肩を、Cも右肩をそれぞれ両手で掴んで、台所まで押し込んだ。被告人は、両名の胸倉を掴んで踏みとどまりながら、Cに対し、「何なんだ真夜中に。」と尋ねたが、両名は何も返答しなかった。「何ですか、こんな夜中に、」と再度問う被告人に対し、Dは被告人の両肩を掴み、Cは背中を押すようにして、さらに奥の六畳間に被告人を押し込んだ。被告人は、二人を押し返しながら、「何でこんなことするのか。」と問うたが、やはり返事はなく、両名は、今度は被告人の両肩を前に引いて床に倒そうとしてきた。被告人は、両名の胸倉辺りを掴みながら、倒されないようにこらえていた。被告人は、この間、両名が素手であったことは認識していた。

(罪となるべき事実)

被告人は、平成一二年三月七日午前零時四〇分過ぎころから午前一時前ころまでの間、東京都大田区南蒲田《番地省略》B山荘一号室被告人方六畳間において、前記のとおり、C(当時四二歳)及びD(当時三七歳)から、倒されそうになるのをこらえていたが、その際、Cが、「連れ出せ。ここじゃまずいから。」と言った後、引き続いて、「包丁持ってこい。」と言って台所の方に向かうに及び、被告人は逆上し、このままでは包丁で自分が刺され、場合によっては殺害されるかもしれないと考える一方、反対に登山ナイフで両名を殺害しようと決意し、一人になったDと互いに掴み合った状態のまま、同人を登山ナイフの置いてあるカラーボックスの方向に押し戻し、右手をその首付近に当てて支えるようにしたまま、左手で登山ナイフ(刃体の長さ約一三・五センチメートル、平成一二年押第八七七号の1)を取った上、左手親指で鞘ケースのストッパーを外し、さらに、右手をDから離して登山ナイフの柄を持って鞘を抜き、防衛の程度を超えて、一、二歩後退しながら、登山ナイフを持った右手を後方に引き、中腰の体勢で、再び掴みかかってきたDの腹部等を目掛けて力一杯数回突き出したところ、登山ナイフはDの腹部に根元まで刺さり、同人は崩れるように仰向けに倒れた。被告人は、Dが倒れるや否や、今度は、台所方面から戻り、斜め背後から掴みかかってきたCに対し、Dに対するのと同様、防衛及び殺害の意思を持ち、かつ、防衛の程度を超えて、Cの右腕を左手で掴んで手前に引き込んだ上、その腹部を目掛け力一杯登山ナイフを根元まで数回突き刺し、さらに、前のめりに倒れんとするCの左胸付近を突き刺したところ、Cはうつぶせに倒れ込んだ。被告人は、両名が倒れ、もはや起き上がってくる気配がないことを確認したが、このまま両名を生かしておけば、後日、必ずや仕返しされると考え、とどめを刺すべく、無抵抗のCの背部等やDの胸部、腹部等を登山ナイフで多数回突き刺した。以上の刺突行為の結果、被告人は、前記日時ころ、前記六畳間において、Dを胸腹部及び背部刺創による胸腹腔内臓器損傷に伴う出血性ショックにより、Cを胸部刺創による左右肺損傷に伴う出血性ショックにより、それぞれ死亡させて殺害したものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示所為は、被害者毎に刑法一九九条にそれぞれ該当するところ、所定刑中いずれも有期懲役刑を選択するが、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重いCに対する殺人罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、その刑期の範囲内で被告人を懲役一五年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入し、押収してある登山ナイフ一丁(平成一二年押第八七七号の1)は、判示各殺人の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項本文を適用してこれを没収し、訴訟費用は、刑訴法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(弁護人の主張に対する判断)

一  弁護人の主張

弁護人は、被告人が被害者らを殺害した行為は、被害者両名が深夜被告人の自室に不法に侵入した上、被告人の両肩を掴み押しまくり、その挙げ句、「包丁を持ってこい。」という言葉を発したことから、自己の生命身体を防衛するために、行ったものであるから、盗犯等の防止及び処分に関する法律一条二項、一項三号若しくは刑法三六条にいう正当防衛、誤想防衛又は過剰防衛に該当するので、違法性又は有責性が阻却ないし減退する旨主張するので、この点に関する当裁判所の判断を示すこととする。

二  急迫不正の侵害等

既に認定したように、被害者であるC及びDは、平成一二年三月七日午前零時四〇分前ころ、被告人の居室のドアを叩き、被告人がドアを開けると同時に、室内に侵入した上、肩を掴むなどして、奥六畳間まで被告人を押し込み、倒そうとしたばかりか、Cが「連れ出せ。ここじゃまずいから。」さらに「包丁を持ってこい。」と口走り、現に、Cが台所の方に赴いたという状況に照らすと、真実Cが被告人の殺害の用に供するため、台所に包丁を取りにいった場合には、被告人が各被害者に対し最初の刺突行為に及んだ時点においては、被告人の生命、身体に対する急迫不正の侵害が存在したというべきである。なるほど、Cが台所方向から戻ってきた際、Cは現実には包丁を手にしておらず、被告人もこれを認識してはいるが(乙二三号証)、この時点は、被告人がDを最初に刺した直後であり、しかも、Cが被告人に攻撃を加える姿勢を示していることに鑑みると、未だ生命等に対する急迫不正の侵害があったという結論を左右しないと解するべきである。

また、仮に、Cが台所へ向かった理由が包丁を取りにいったものではないとか、単に被告人を脅すために包丁を取りにいったに過ぎないとしても、被告人の立場にしてみれば、その行動が「包丁を持ってこい。」との発言直後であることに照らすと、被告人を殺害する目的で包丁を取りにいったと誤信しても、それは無理からぬものがあり、生命に対する急迫不正の侵害があると誤信したことには相当の理由があるというべきである。そうすると、被害者が倒れる以前における被告人の刺突行為は、盗犯等の防止及び処分に関する法律一条あるいは刑法三六条にいう急迫不正の侵害あるいはその誤信があったことになる。

さらに、正当防衛等における防衛の意思とは、単なる「急迫不正の侵害事実の認識」では足らず、「侵害を避けようとする単純な心理状態」と表現される意思的要素を要求するものであるとしても、被告人は、捜査段階において、「このままだとヤキを入れられる。先に殺さなければ、反対に殺されてしまう。ヤキを入れられるくらいだったら、先にやってしまえ。」などと、当時の被告人の置かれた立場からして、自然で納得できる供述をしている(乙四号証)ことからすれば、被告人は、前記の時点において、両名に対する確定的殺意はむろんのこと、防衛の意思も併存して有していたと認められ、これに反する証拠はない。

しかしながら、被告人の当該時点における刺突行為のみをみても、単に素手で向かってくる被害者に対し、鋭利な登山ナイフで人体の枢要部を力一杯根元まで数回突き刺すというもので、防衛に必要な程度を逸脱し、反撃行為の防衛手段としての相当性を欠いていることは明らかであり、この結論は、盗犯等の防止及び処分に関する法律一条が規定する特別防衛における相当性が刑法三六条の正当防衛におけるそれより緩やかなものとしても、変わらないというべきである。

翻って、被害者両名が倒れ込んだ後の被告人の行為について考えてみるに、この時点においては、両名は、腹部等を刺され重傷を負い、被告人に対し更なる攻撃を加えることが可能な状態ではなかったことは明らかであり、(罪となるべき事実)において認定したように、被告人もこのことは十分に認識し、却って、とどめを刺すべく、多数回C及びDを刺しているのであるから、既に両名による急迫不正の侵害は終息したばかりか、被告人においても、防衛の意思をなくし、専ら積極加害の意思で攻撃したということができる。したがって、この時点においては、特別防衛及び正当防衛等の成立を認める前提要件は既に消失したというべきである。

三  過剰防衛の成立による減免

以上述べてきたように、被告人の被害者二名に対する登山ナイフによる刺突行為は、当初は過剰防衛の性質を有するものとして始まったものの、被害者両名が重傷を負って倒れ込んだ以降は、急迫不正の侵害は終息し、被告人も専ら積極加害の意思をもって、その後の刺突行為を行っており、過剰防衛等が成立する基盤がなくなったというべきであるが、問題は、刺突行為全体を見た場合どのように評価すべきかである。

確かに急迫不正の侵害や被告人の防衛意思の有無という法律的観点から事後的に分断することは可能ではあるが、被告人の刺突行為全体は、あくまで、被告人方居室内という同一の場所において、同一の二名の被害者に対し、同一の確定的殺意に基づき、長くても一五分から二〇分間という短時間に連続的に行われたことからして、特段の事情のない限り、行為全体を一個の殺人行為とみるのが自然であるといわざるを得ない。そこで、特段の事情の有無をみてみると、まず、両方の刺突行為の回数、時間的長さ、態様は、多少の違いはあるものの、質的あるいは量的に明らかに差があるものではない。また、両刺突行為の被害者死亡という結果に対する寄与の程度を比較してみても、関係各証拠によると、明らかに後者が勝っているとはいえず、むしろ両者すなわち、倒れ込み以前になされた刺突行為が相当程度寄与していることが認められる。そうすると、特段の事情はなく、被告人による刺突行為を急迫不正の侵害が存在する段階とそれが終息した段階で分断することは妥当ではなく、全体的に一個の過剰防衛行為に当たると評価せざるを得ないというべきである。したがって、弁護人の主張は、この限度で理由がある。

しかしながら、既に繰り返して論じてきたように、被告人の刺突行為は、素手で掴みかかったり、倒そうとしたに過ぎない被害者に対し、登山ナイフを力一杯根元まで数回刺突するなど、当初から、侵害行為に比して強度なものである上、急迫性が終息した後も、無抵抗の状態となった被害者両名を多数回突き刺すなど、その過剰の程度には著しいものがあり、さらに、犯行後も完全に絶命したかどうかを確認するなどしていることに照らすと、本件は、刑法三六条二項にいう過剰防衛として刑を減免すべき事案とは認められないというべきである。

(量刑の理由)

本件は、被告人が、深夜被告人の居室に強引に押し入り、掴みかかってきた被害者二名に対し、登山ナイフでそれぞれ多数回突き刺し、両名を殺害したという事案である。

被告人は、被害者らの襲撃行為や「包丁を持ってこい。」という言動が引き金になっているとはいえ、未だ、素手で押したり、転倒させようとする暴行行為に及んでいるに過ぎない被害者二名に対し、当初からやられる前に両名とも殺害しようと確定的殺意を持って、被害者側からの急迫不正の侵害が終息した後も、止めを刺すに到るまでその殺意を貫徹したもので、その犯行動機の短絡性は厳しく非難されるべきである。犯行態様は、掴み合っている被害者一名に対し、刃体の長さ約一三・五センチメートルにも亘る鋭利な登山ナイフで、被害者の枢要部を根元まで刺さるような強さで数回刺突し、さらに、向かってくるもう一人の被害者に対し、同様に、その枢要部を刺した上に、倒れて無抵抗の状態となった両名を多数回刺突し、さらに、完全に絶命したかどうかを被害者の頸部や大腿部を刺して確認するなど、誠に残忍かつ執拗なものである。被害者二名は、全身に十数か所又は二〇か所以上の刺創を負い、三七歳及び四二歳という働き盛りにして尊い生命を奪われたものであり、その結果は甚大である。残された遺族らの悲しみは大きく、被告人に対して厳しい処罰感情を持つのも、もとより当然である。しかるに、被告人は、何らの慰謝の措置を講じておらず、前記のとおり、粗暴犯の罰金前科三犯、懲役前科二犯を有していることを併せ考えると、被告人の刑事責任は、重大であるといわざるを得ない。

他方、既に結論付けたように、被告人の殺害行為は、全体としても過剰防衛であること、深夜、突然被告人宅に押しいって、被告人に掴みかかり、引き倒そうとした上、「包丁を持ってこい。」と口走った被害者らの言動が犯行を誘発したものであること、このような意味で計画的犯行ではなく、偶発的な犯行であること、自ら警察に電話し、自首していること、捜査段階から犯行を認め、反省の情を示していることなどの有利に斟酌すべき事情もあるので、これらをも総合考慮した上、主文掲記の刑に処するのが相当と判断した。

よって、主文のとおり判決する。

(国選弁護人廣瀬哲彦 求刑懲役一七年・登山ナイフ没収)

(裁判長裁判官 山崎学 裁判官 伊藤多嘉彦 裁判官髙木順子は転補のため、署名押印することができない。裁判長裁判官 山崎学)

<以下省略>

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